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内側を暴こうとかざされるサイコメトラーの手。
身をよじって逃げようとするのを押さえつける手。
太腿の内側を跡がつくまで押し広げる手。
剥き出しの肌を這い回る手。
こぼれる悲鳴をねじ伏せる手。
「………っハッ、はっ、……ハぁっ」
ベッドの上の少年は跳ねるように身を起こした。荒い息をついて、しきりに瞬きを繰り返している。息苦しさにシャツの上から心臓を押さえると、飛び出そうなほどに鼓動する動悸は少しずつ収まっていった。
「ゆ、め………」
そうとわかると、すぐにおぞましい残像は消え去った。葉は部屋を、自分の居場所を見渡した。
白い朝日、白い壁、白いカーテン、
白い床、白い天井、白いシーツ白い枕白いタオルケット白いシャツ白い――
真っ白な、自分の記憶。
目をつむると、一度は真白い朝の中にかきけされたと思った悪夢は、あっさりと蘇ってきた。自分を呼ぶ幻聴さえリアルで、再びあの闇に取り込まれてしまいそうになる。葉は耐えられずに首を振った。
どうせ全部忘れてしまうなら、どうしてこんな忌まわしい記憶を引きずっているのだろう。
葉の記憶は、突如放り込まれた暴力の渦中ではじまり、それ以前のことは何一つわからなかった。
なけなしの記憶が、あんな悪夢に大半を占められているなんてあんまりじゃないか。
呼吸が落ち着いてからもう一度視線をめぐらせる。
透明な温かい日差しがカーテンからこぼれて、眩しさに目をこすった。だが、いくら目凝らしてもこの部屋に馴染みのような懐かしさはなかった。
居心地は悪くないはずなのに、そわそわと身の置き所が無い様子で、葉はドアのむこうに耳をすませた。足音がした。
「おはよう、葉。具合はいかが?」
朝らしい、のびやかな声と共にドアが開かれる。
葉は警戒するようにびくりと肩を竦めると、反射的にあとずさった。入って来た背の高い女性は、何もしないわよ、と両手をかるくあげるとドアを静かに閉めて葉のベッドに近づいた。
葉は頭まで毛布をひきかぶると寝返りをうって、とりあえずは無視することに決めた。
声が、うまく出ないのだ。何か言おうとしても喉元でひっかかったようになって、言葉は声にならない。毛布の内側で堅く身を強張らせる。
自分を世界の全てから切り離してしまいたかった。
そんな葉に、快活な女性はいつものとおりさほど気にした様子もなく笑った。
まるで、ここに葉が居るということ自体がとても喜ばしいことのように。
「今日もいい天気よ。窓開けてもいい?」
ここに助けられてもう丸三日たつが、葉はこの真白い部屋と同じく、この女性にも、時々様子を見に来る長い黒髪のおよそカタギではなさそうな男性にも、馴れることが出来なかった。
女性は葉の返事を待たずにカーテンを開けて、サイドテーブルに乗った空の薬包と水差しを片付け、あいた場所にスープと果物が載ったトレーを置いた。
「おねがい、ちょっとでもいいから食べて。でなきゃもたないわよ」
彼女はいっそ泣きそうな声で溜息をつくと、なかなか顔を出さない葉の傍らに座り、毛布ごしに心配げに見守った。それでも葉に触れることはしない。触れるとひどく脅えることを彼女はこの数日で知ったのだった。
じっと見つめられることに耐えられなかったのか、ようやく葉が顔あげた。
「紅葉……さん、だっけか。あんた、アイツの仲間なんだろ?」
掠れた声だった。そんな人間は信用出来ない。
葉は言外に非難と皮肉をこめて素っ気なく言ったが、本当は、大部分は困惑から出た言葉だった。
『少佐』と呼ばれる学生服の少年は、葉を弄んだ残忍な人間であるのは間違いないのに、一度葉が保護されてから再び相対した少年は、まるきり別人のような振る舞いを見せた。それが葉を混乱させていた。
「……『さん』付けで呼ばれるのはなんだか気持ち悪いんだけど。まあそれはおいといて。仲間じゃないわ。家族、よ。もちろん葉もね」
悪い人――もっというと自分を傷つける目的の「敵」――ではないことは、ここ三日間ほとんど意識も気力もなく、朝も夜も眠るか、そうでなければぼんやりと人形のように横たわっているだけだった葉にもなんとなく解ることだった。
でもだめだ。今はどんな人間の気配だって煩わしい。
1人にしてほしい。葉が願うのはそれだけだった。
あの男の、まるで、虫の手足を引きちぎり小鳥の羽根をむしるのに愉悦を見いだすような残忍さを忘れることは出来なかった。ついさっき、明け方見た鮮明な悪夢の中でさえ、あの暗い色の瞳で葉を見下ろして笑っていたのだ。
(……あ、まずい)
男のことを鮮明に思い出すと、再び吐き気がこみ上げてきた。不快な酸味が空っぽの胃を迫り上げる。口を手の平で覆い、思わず二つに背をおって呻いた。
「……うっ……ぐっ……」
「だいじょうぶだから。ね?」
はっきりと涙が混じる声で、紅葉は葉の背を繰り返しさすっていた。
「ゲホッ…くっ…はっ、ぁっ、ぁっ、放し、て」
「バカじゃないの?! ほっとけるわけないじゃない」
そんなこと言われても。泣きたいのはこっちだってのに。
葉は嘔吐につきまわる息苦しさに涙を浮かべながらタオルをたぐり寄せた。
温かい手は紛れなく親愛の情に満ちていて、心地良くさえあるのは葉も認めないわけにはいかなかった。でも。この憎しみはいったいどこへ向ければいい。苛立ちで頭の芯が重く痺れてくる。
あの部屋で何があったのか、思いだそうとすると激しい頭痛と吐き気に襲われた。
もう何も考えたくなかった。
何も考えなければ楽なのだろう。あの少佐という人物についても、この優しげな女性のいう「家族」の意味も、自分が何者であったかということでさえ。
でも、いくら考えまいとしても、身体中をかけめぐるキシキシとした鈍い痛みは、葉に否応なしに現実を思い出させた。忌まわしい傷が再びじくじくとくすぶり、葉は顔をしかめた。
「……ありがと、もう平気」
葉はあわてて手をつっぱねて紅葉から体を離した。
紫か赤か、あるいは黄色く変色している痣だらけの体。傷と火傷が無数に刻まれた手足。
触れられたせいで、かえって傷を意識してしまい葉はいっそう惨めな気持ちになった。
「……本当に……もう平気だから……お願い、どこか、行って」
顔をしかめた葉に紅葉は何を思ったか、しかしそれ以上は追求しなかった。
あきらめたように首をふると、寝乱れた葉の癖毛を優しい手つきで梳く。
「……ご飯おいてく。ちゃんと食べてくれる?」
「食べる」
「薬も飲む?」
「……うん」
「……わかった。じゃあまたあとで来るね」
来た時とは違って、テレポートで音もなく来訪者は消え去った。
あっというまに静かになった空間を、葉はぼんやりと見つめた。
過去を含め自分に関わることの一切は思い出せなかったが、超能力に関することは、日常生活に必要な常識や言葉をすんなりと思い出せたように葉の中に戻ったのだった。
超能力の知識は、どちらかというと、生きるための本能に属するものかもしれなかった。
意識が戻ってまず最初に兵部をその振動波で攻撃したように。
静かな部屋で一人きりになる。
キィィンと耳鳴りがした。
「ぅっ……ッ」
ガシャンと食器が割れる音。
酷い頭痛に葉は再び体を折ってうずくまった。
音波をぶつけらればらばらになった家具が白い絨毯につきささる。
今もこうして、(無意識の防衛本能の暴走ではあるにしても)サイコキネシスで窓を割ることくらいはできるのに。飛び方を思い出すことは出来そうになかった。
――――――――
真木はその日も目の下に盛大な隈を作っていた。
カリスマであるが実務にはうといボスを掲げるパンドラは真木が居なければ回らないし、個人的にも見過ごせない仕事が山のようにあったのだ。
夜のうちからきっちりと着込んだままの襟元をようやく緩めて日の差す甲板に出た時は、すでに太陽が南中していた。
豪華客船を改造したこの本部は生活に不自由がない以上に快適である。階下のデッキの運動場では年少の子供達がボール遊びをしていた。眩しい太陽を仰いでふりかえると、ブリッジに連なる外周回廊に浮かない顔をした紅葉を見つけた。
「どうだ、葉の様子は」
炭素の羽を広げてすとんと降り立つ真木に紅葉は肩をすくめる。
「……変わらずね。今はだいぶ落ち着いてるから戻ってきたけど」
「今から俺も向かう」
「真木ちゃんは少し休んだほうが良いと思うわ」
紅葉は、つんと真木の頤をつついて顔をしかめたがそれ以上は何も言わなかった。
一緒に育った弟にも等しい幼なじみが何よりも気がかりなのは二人とも同じだった。
「ところで少佐は?」
「今朝起こしに行ったら、もう出かけたあとだった」
「ついて行かないの?めずらしい」
「……あの人がふらふらと一人で出歩くのはいつものことだ」
真木はふと遠くの水平線を見た。多分、視線の方向は日本なのだろう。気持ちよいくらいの快晴だった。兵部はもう三日ほど、つまり、葉の記憶の修復を試みて失敗した夜から、頻繁に船を留守にした。船にいる時も、葉に会いに行った様子はない。
「ねぇ、葉は、」
「なんだ?」
紅葉はふと考え込むようにして、ゆっくり言葉を探した。
「葉の記憶を取り戻せないのは、拒絶しているからでしょう?少佐を」
「正確には、少佐が心の中に精神感応で接触するのを、だな」
「同じことよ」
まあそうだな。
真木は納得すると顎を撫でた。客室を改造した私室が並ぶ上層階をふりかえる。
「やっぱり様子を見に行くよ。俺たちにはどうすることも出来ないが一人にするよりはマシだろう」
「じゃあ私が少佐を捜しに行こうかな。どうせいつもみたくチルドレンのところか――ま、とにかく行ってくるわ」
言葉を濁したのは、あまり口にしたくない予想だったからだろう。
「紅葉、」
「なあに」
「おまえも気をつけろよ」
今すぐにもゲートまでテレポートしようとしていた紅葉は、妙な顔をして眉間に皺を寄せた。
「……じゃあ行ってくる」
はぁ、と溜息をついて真木は既に誰もいない空間を見送った。
――――――
一日中、特にすることもなしにただ横になっていることを、葉は退屈には感じなかった。
退屈に思えるほどの気力も、精緻な感情も、戻ってなかったからかもしれない。
しかし自分を包む世界が急速に縮まり色褪せていくような閉塞感には閉口した。
(それにしても、ここは、どこなんだろう……)
ここがどこかもわからないが、外に出て確かめる気にはなれない。
(俺は、誰なんだろう)
自分が何者かもわからないが、それを知ることは恐ろしかった。
注意深く記憶をたぐり寄せようとしても、思い出すのはいつも「あの」場面だけだった。
白い天井の隅をぼんやりと見つめる。
眠っては悪夢に飛び起き、起きてはこうして出口の見えない思考の迷宮に囚われる。
夢の中でも現実でも、葉が心から安らぐことの出来る場所は残されていなかった。
(だれか、たすけて)
熱に魘され、浅い眠りを繰り返す。
ふわふわと妙に体が軽いのは、高熱の特徴だった。
(苦、し……)
頭が割れそうに痛い。
紅葉がおいていった痛み止めに手を伸ばそうとして気付いた。
(また、あの夢だ……)
いつのまにか、あの薄暗い地下室にいた。
目の前には、あの男。兵部京介。
いやだ。
またあの夢の続きだ。
葉はすぐに悟った。これはいつもの夢の続きだった。
だから大丈夫、現実じゃない。もうあの現実は終わったんだ。
体の痛みのせいで眠れない半覚醒状態の葉の理性がそう訴えていても、疲れ切った脳はあっというまに深い睡眠へと葉を引きずりこむ。夢と現実を混同させる。
キラキラと銀髪がきらめく綺麗な少年が、じっと葉を見下ろしていた。
光をうつさない黒い瞳が自分をじっとのぞき込み、そして。
腕を捻り上げられ、身体中を侵される。無事なところなど何一つない。
痛い。苦しい。熱い、痛い、自分がどろどろにとけて無くなる感覚。
声が枯れるまで泣き叫んでも、助けが来ることはなかった。
銀髪の少年は、いたぶることそれ自体が目的だとでもいうように、葉を執拗に責め苛んだ。
刻み込まれた記憶を何度も反芻させられる。
殺意に近い憎しみと、もう戻れないところまで自分は汚れきったんじゃないかという理不尽なやるせなさに涙が滲む。
葉は身体中を這い回るようなおぞましい寒気にもがいた。
息が出来なくなる。
(だれでもいいから、助けて)
ふと、無意識に伸ばした腕が、暗闇で何かを掴んだ。
それが誰かの手だとわかったのは、伸ばした手を握り返されたからだった。
冷たく凍った指先が、温かい手のひらに包まれた。
(だれ)
それは、底なし沼のような深淵に落ちる葉をひきとめ、抱き上げるようだった。
指先からあふれた光が、闇一色だった葉の夢を白く染める。
触れられた先から、痛みと熱がすぅっとひいていくような気がした。
(きもちいい)
葉はその手の感触をずっと昔から知っているような気がした。
闇から引き上げるような力強い腕。その手に抱かれていると不安なことは何一つなくなり、自分が正しい人間になれるような気がするのだ。
(いき、らく)
肺に熱いどろどろとした水がたまるような息苦しさはつのまにかおさまり、薄暗い地下室の悪夢が全てかき消されたとわかった時は、葉は灰色の光の中で横たわっていた。
目をあけることが出来ないが、誰かに抱き上げられているような妙な浮遊感がした。
誰かがしきりに傷が残る手足を撫でているが、嫌悪感はなかった。
痛みに痺れた手足が、解されていくようだった。
気持ちいい、さわって。もっと。
むず痒いような心地よさに葉がうめくと、その手の持ち主が少しだけ笑った気がした。
その声は聞いたことがあったような気がしたが、はっきりとは思い出せなかった。
(でも、しってる)
眠りに落ちる瞬間のような、躰の輪郭が痺れて膨脹するようなあの感覚に、葉は妙だと思った。
夢の中で眠るなんて、おかしなことだ。
それでも等間隔でゆらめく催眠術の振り子を見つめるように、だんだん頭がぼんやりしていく。
『無理に思い出さなくていいよ。今はゆっくりおやすみ』
誰かの声が聞こえる。
もうあの夢は見ない。葉はふいにそんな気がした。
この手の主は、眠っている間にいなくなってしまうのだろうか。離れたくない、と葉は絡ませる指に力をこめる。温かい手は、「どこにもいかないよ」とでもいうようにぎゅうと葉の手を強く握り返した。それに安心すると、葉は三日ぶりに、つまり記憶が戻って初めて、今度こそ夢さえ見ない深い眠りに落ちていった。
Kids Nap―キズナ―11
――――――
あまあまのベタベタ(先が見える的な意味で)な展開ですみません^q^
まだまだ続きます
お気に召したらぽちっといただけたら嬉しいですv