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このところ、少佐はどうやら無理を重ねておいでのようだった。
もっと俺が気をつけていなければならなかったのに。
少佐が胸を押さえて誰も居ないマンションの一室に倒れ伏しているのを発見したのは偶然だった。
このマンションは我々が船と日本を繋いでいる数多い連絡口の一つで、いつも自分がここを使うと決まっているわけでも、少佐が使うと決まっているわけでもない。無人のアジトとはいえ掃除やご近所付き合いなどの管理もこまめにするにこしたことはないから時折通う程度である。
今日は(現地の)天気が良いからと、新築のワンルームに足を運んだところだった。
ごく普通のマンションより少し大きめ、ぐらいのフローリングは備え付けのデザインキッチンの他は家具が一つもないせいかバカに広く見える。その薄い色の板の間の隅のほうで、黒い塊が丸まっているのを見て、冷房も入っていない蒸し暑い部屋だというのに一瞬で心臓が冷えた。
「しょ、少佐?!」
思わず駆け寄り膝をついても少佐は目を覚まさない。
仰向けにし、首筋に手を当て脈を測る。もちろん死んでいるなんてことは(決してあってはなら)ないが、だらりと弛緩した腕はやけに冷たい。
船に連れて帰ろうと、少佐を発見したその瞬間から警戒の形にうごめきだした炭素繊維を膜のように伸ばしてくるむように抱きかかえると、微かに呻いて少佐の暗い瞳がすぅっと静かに現れた。
「ぁ…、ま、ぎ…?」
「少佐、どこか悪いんですか、それとも怪我でも――」
そのまま抱き上げようとする俺の腕を弱々しく押しとどめて少佐は首を振る。
「ありがとう…もう平気」
「どうしたんです?――というかいつからここに?」
「ええと、つい、1時間くらい前かな」
少佐は学生服の上着から取り出した携帯電話の液晶を確認する。
「女王たちを見に行ってたんだけどね、ここに戻ったとたんちょっと立ちくらみがしただけだから。心配することないよ、ただの夏バテだろうし」
「ちょっと?夏バテ?ふざけないでください、アンタ俺を殺す気ですか!」
安心した途端に感情の矛先を変えてしまうのは我ながら子供じみたふるまいだとは思ったが、かっと激昂した感情はおさまりそうになかった。
本当に死んでしまうかと思った。
少佐が、ではなく、俺が。
「……ごめん」
気付いたら俺は少佐を腕に抱き上げたままきつく圧迫してたようで、少佐のくぐもった声が押し当てられたスーツ越しに響く。あわててはっと顔をあげ腕を緩めると、少佐は眦を朱に染め視線を揺らしていた。
「でも……そんなに怒ることないじゃんか」
「怒りますよ、もっと自分を大切にしてください。倒れるにしたってあと数メートル歩いてそのゲートをくぐって、船に戻るだけでいいじゃないですか。俺はテレパスじゃないしあなたを探すことも出来ない」
何度、自分が精神感応を持っていたらと願ったことか。
気紛れに、すぐにふらりと姿を消す少佐を探すのは大抵の苦労ではないのだ。今でこそ携帯電話を持っているが昔はそれさえもなかった。
「……そんな怖い顔するなよ」
ぺたぺた。と妙な柔らかい感触に我に返ると、少佐の指が俺の頬を撫で回してるのに気付いた。
カアアと頬が熱くなる。
「怖い顔、してましたか」
「ああ、してた、してた」
少佐は機嫌が良くなってケラケラと笑った。
俺はますます(少佐に言わせるといつもの)仏頂面を表情を険しくした。
少佐の冷たい指が頬のラインと髭をなぞり、真夏の密室という蒸し暑さに汗を流す首筋を辿った。
その冷たさに、ぞく、と背筋が伸び、逆に頬はますます熱くなった。
「な、なにしてるんです?」
「んー?そういえばゆっくりこうするの久しぶりだな、って思って」
そんなことはない。
毎晩打ち合わせと称して俺は少佐の部屋に詰めているし、そのままなんやかやとなし崩し的に朝まで床を共にすることだって少なくない。
だが、なんとなく少佐の言いたいことは伝わって、俺はそうかもしれませんねと頷いた。
閉ざされた窓ガラスを超えて、アブラゼミの鳴き声がじわじわ、じわわと、ここまで響いている、それは夏独特の喧噪だった。うなる冷房の音を聞きながら人工の風を頬に受けていると、時間と空間の感覚をなくすような、妙な没入感に囚われた。夏がぼうようと広がる埃の蜃気楼の中をジジジと電波のように彷徨いクラクションやジェット機の轟音に時折焦点を結んで聞こえるのが、どこか遠いセカイのように思うのは、家具一つないだだっ広い部屋がのせいかもしれない。
雑音と埃と太陽が混じり合った夏から、この直方体の部屋だけが切り取られ静けさの中に置き去りにされたようだった。
「……真木、今日の予定は?」
「……ええと、何もないのでここの掃除に、と思ってたんですが」
「じゃあ今日は2人で、ここですごそうよ」
素晴らしいことを思いついた、というように少佐は子供のように微笑んだ。たしかに調子の悪い少佐が静養するには、静かで他に余計なものは何一つないここは向いているかもしれない。
「そうですね、じゃあとりあえず何かつくりますよ。食べたいものありますか?」
「んー、じゃあ冷やし中華がいい」
「わかりました、すぐに買って来て作りますよ」
腕の中から少佐を離し、乱れたネクタイを直した。
冷房に冷やされた体からぬくもりが消え去るのが少々名残惜しく、また目を離すと少佐はふらりとどこかへ消えてしまうかもしれないと脳裏を過ぎったが、少佐がここで2人で過ごしたいと言ってくれたから今日のところは大丈夫だろう。それでも早めに帰ってこなければ、と部屋を出ようとした時少佐が不満げに俺を見上げた。
「う……、な、なんです?」
「おまえ、その恰好で買い物に行く気か?」
「何かおかしいでしょうか」
「今日は全国的に日曜だよ」
どうやら少佐は日曜の昼間にスーツで食料品店で買い物というのがお気に召さなかったらしい。
「いやおかしくはないけどさ、たまにはラフな恰好もしなよ。休日っぽく」
言うが早いか、少佐はどこからテレポートさせたのか、俺は一瞬でシャツにジーンズという恰好に着替えさせられていた。一応Tシャツではなく襟つきだが、なんとなく違和感がある。
「これでよし、早く帰ってきてね」
だが少佐が満足してるならそれもいいのだろう。
――――――
スーパーマーケットの袋を両手に提げてマンションに帰ると、少佐はどこから持ってきたのか、厚手の綿のタオルケットにくるまり部屋の隅に丸まっていた。巻き付けたタオルケットを持つ指とつま先しか出ていない、まるでてるてるぼうずのような姿に苦笑した。
「ていうか寒いなら冷房消すか温度さげてくださいよ」
「やだ、暑い」
「やだ、ってあんた」
子供じゃないんだから、と思わず口調が雑になる。
「それに真木はわかってないよ。全然わかってない。猛暑の中冷房ガンガンいれて冷えた中布団にくるまってあったかさを満喫するのがいいんじゃないか」
「そんなに暖まりたいなら俺が温めてあげます」
と危うく言いかけたが、それはこの極限まで冷えた冷房の風よりも寒いのでやめておいた。かわりに、「温暖化って知ってます?」と無難な相づちをうつに留めてキッチンにむかった。
麺をゆでスープを出汁から作って野菜を刻む。
楽でいいが、少佐の健康も考え色々アレンジを取り入れて調理していると、いつのまにか少佐が足元に居た。
「……あの、危ないですよ、そこ」
「んー、ひま」
いわんこっちゃない、と溜息をつきつつ、足元の、なにやら可愛らしい物体に目をやった。
少佐は毛布にくるまったままずりずりと移動してきたようで、いまやてるてる坊主というか銀色の髪が覗くいも虫のようだった。
「ひーまぁ」
「ぁあもう!あと少しですから!」
少佐はシンクに向かう俺とは反対方向の、つまりだだっ広い部屋の方を向いてぼんやりとしている。
俺の足にもたれるのはいいんだが、膝の裏あたりに少佐の頭があたって少しこそばゆい。
「……あ、なんかさ。こうしてると新婚さんみたいだよね」
危ない、手がすべった。
豚肉を刻んでいた包丁が滑り落ちそうになるのをあわてて引き寄せた。
「なーんにもない部屋に引っ越したての。いいなあこういうの」
「まあ、俺も。嫌いじゃありませんよ」
2人きりですごす時間が嫌なわけもない。
しかも、こうしていると本当に年相応な平凡なお付き合いをしているような錯覚にさえなる。
いや、いや、ちょっと待て。年相応というと。
俺は年端も行かない子供を家に引きずり込んでたぶらかしているということになるのか?しかも同性。
こういうのを性犯罪者というのではなかろうか。それだけは御免被りたい、と思っていると。
「またよくわからないこと考えてるんだろ」
しっかり、透視られていた。
「と、ところで、もう具合はいいんですか」
「うん、もう平気。ほんとただの立ちくらみだったから。君の作ってくれたご飯食べたら治るよ」
「もう出来ますよ。どこで食べます?食器はさっき材料と一緒に買ってきましたが」
冷やし中華とジャスミン茶と杏仁豆腐を2人分用意してトレーに載せたが、テーブルがない。
少佐の戯れ言どおり仮に「引っ越ししたて」ならば段ボールを即席のテーブルがわりにすることも出来るが、もちろんそんな気のきいたものはなかった。
「いいよ、適当に床に座って食べようよ」
「あなたがそうおっしゃるなら」
超能力でふよふよと皿を浮かせて少佐は日当たりのいい、さっき倒れていた部屋の隅にテレポートした。
俺もあとをおって、床にあぐらを組んで座った。少し行儀悪いが仕方ない。
「それよりもさぁ……あ、これ美味いね。さすが真木……もっと、気になることがあると思わないか?」
「お口にあうようで何よりです。……何か?」
ちゅるちゅると麺をすすりながら少佐が思案深げに首を捻った。
「テーブルより、ベッドがないほうが困ると思うな。背中が痛くなるのはいやだ」
「ええと、その」
ここに本気で居座る気か、と聞きかけて見当違いな言葉と気付いた。
少佐が口にしているのは、多分、もっと、今目の前の。
俺も気付かないわけでもなかったが、どうにも気恥ずかしい。少佐がさきほどあんなことを言うから。
思わず口ごもった俺を、少佐はフォークを止めてじーっと見つめている。
いつもの、あの悪戯めいた眼差しにドキンと心臓が鳴った。
「俺が、あなたを硬い床に寝かせるわけないでしょう。負担をかけないやり方はいくらでもあります」
「へぇ。なんだ、きみも結構その気なんだ?」
アブラゼミの鳴き声がじわじわと一定のリズムで理性を侵食する電波のように、窓硝子越しに流れ込んでくる。頭がうだるような蒸し暑い休日も悪くはなかった。
ある暑い日の休日
――――
少佐も真木ちゃんもたまにはゆっくり休めばいいよ。
新婚さんごっこでも「ご飯にします?お風呂にします?」って聞くのはもちろん真木さんだよね!
↑っていうかいつもと変わらない
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