[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「……というわけでこっちが少佐から預かった資料ね。施設の一覧と実験履歴」
「ご苦労だった」
兵部は結局、迎えに行った紅葉と共に今朝明け方近くになって戻ってきたのだった。兵部は一足先に自室に戻っているらしく真木は顔を見ていなかったが、ちゃんと休めているのならその方がよかった。あとで顔を見に行こうと考えながら紅葉から渡された資料に目を通す。
あくびまじりの報告を聞きながら、真木はカフェインの取りすぎで荒れた胃が定期的にしくしくと暴れ出すのを感じた。
兵部が飛び出して行くのは(彼の性格を鑑みれば)当然かもしれないが、それにしたって誰かを護衛に連れて行くとか、自分に何か言い置くくらいのことがあっても良さそうなのに。もっとも。これも相当「今さら」なのかもしれないが。真木がそう溢すと紅葉は、
「真木ちゃんは心配しすぎなのよ。少佐は思ったより冷静よ」
と足を組み直した。
そもそも自分が引き受けている重みは、たかだか兵部の補佐の自分には手に余るのだ、と真木は思った。葉を拉致した例の暗躍組織がどこまで情報を掴んでいるのかも差し迫った案件だったし、尻尾を掴ませない周到さは薄ら寒くもあるが、バベルや黒い幽霊の動向にも目を配らなければない。
今回は他のメンバーにも充分に注意を促し不用意な外出は控えるように通達したが何かあった時、この船と仲間を守るのは自分なのだ。そして何よりも守られなければならないその人が一人でふらふら彷徨うというならば、自分に何が出来るのだろうか。
「そういうのを『けつの穴が小さい』って言うのよね」
「なっ……女子がそういう言葉を使うんじゃない」
「あら、言ったのは少佐よ?」
「……そうか」
真木はがくりと肩を落とした。冷静沈着なポーカーフェイスに見えて、その実ころころと表情を変える真木の百面相に紅葉はひとしきり笑うと、たいしたことではないけれど思い出したからそのまま言わずにおくのも不自然だというような言い訳じみた様子で口を開いた。
「『真木にはいつも苦労をかけるね』とも言ってたわ」
「そんなことは……ない」
「それ、少佐に言いなさいよ。じゃあ私は今からちょっとだけ寝るわ」
「ああ、わざわざすまなかった」
おやすみ、と紅葉を見送りカーテンを開けた。
水平線を白く一筋の光にそめ顔を覗かせる眩しい銀色の朝日は、まるでダイヤモンドのリングのようだった。よく磨かれた硝子窓に映る寝不足の顔は、わずかに頬が緩んでいた。あわてて表情を取り繕う様子は確かに、「百面相」なのであった。
――――――
朝食のトレーを運ぶために、葉の部屋(元々彼が暮らしていた部屋ではない。兵部の部屋に近い空いた寝室の一つだった)の前に立つ。ノックをしてからドアを開ける。
さり気なくベッドに視線をやり、無気力にぐったりと横たわる記憶喪失の葉から無意識に発散される不穏な敵意に気付かないふりをしながら様子を伺うのがいつものことだったが、今朝は違った。
シーツが乱雑にめくれたまま空っぽのベッドに気付いて動転した。部屋を見渡しても誰もいない。どこへ行ったのか、と色んな状況を思い描いている最中に真木はふいに懐かしい声音で名前を呼ばれた。
「おはよ、真木さん?」
真木はまるで思わず耳を疑った。
まるで時間が戻ったようだった。10年前、一年前、いや、ほんの数日前に。
葉は窓辺にたって真木を振り返ってはにかんだように笑った。茶色い毛先が朝日をあびてふわふわと輝いていた。
「起きて平気なのか?」
真木は、慎重に言葉を探した。葉はひょっこりとカーテンの隙間からあらわれたのだった。床まで届く襞の多いカーテンに半分隠れていたから気付かなかったのだ。どうやら窓の外を見ていたらしい。それだけのことなのに真木は動揺を隠せなかった。
「……うん、ずっと寝てたから腹減った。なのに今日に限って誰も来てくれねーんだもん」
真木は、手にしたトレーをテーブルに置いて「悪かった」と苦笑した。
蓋をどけると、中華粥から香ばしい湯気が立ち上った。真木が呼ぶと、葉は裸足のまま音もなく絨毯を横切りベッドに腰掛けた。
「おいしそう。食っていい?」
葉は真木を見上げて首を傾げた。
ゆったりとした寝間着の袖から覗く、スプーンに伸ばした手はほっそりと青白かった。
無理もない、ここ数日ほとんど何も口にしていないのだ。いきなり食べては胃に悪いと思うが、ともあれ食事をする気力が戻ったことに安心する。
それに、まるで昔と何一つ変わらず耳に心地良く馴染む幼なじみの声は、抑揚も発音の仕方も、真木の記憶と一致していた。
「あ…うまい。これ、誰が作ったの?紅葉さん?」
だがそれは、すぐに偽りの錯覚だと思い知らされた。葉は紅葉をこんなふうに呼びはしない。わかっていたことだが真木は胸の奥に石を飲まされたような思いになった。
「……いや、俺だ。紅葉はまだ寝てる」
「へぇ見かけによらないんだね」
葉は何を納得したのか、皿と真木を交互に見比べた。その笑顔は屈託がなく、記憶が戻らないのは変わらない事実だが、こうして表情を見せるようになっただけでも良かったと思う。顔色もだいぶいいし、声もしっかりしている。真木は隣に腰掛けると、匙に掬って忙しなく口に運ぶ葉の手元を何と無しに見ていた。
「ごちそーさま」
「驚いたよ。ずいぶん元気になったように見える」
ゆっくりと時間をかけてそれでもほとんど空になった器を片付けついでにテーブルを調える。葉は満足したのかシーツのうえに手足を投げだしクッションをかかえ、早くも大きなあくびをしていた。
「昨日はすっごいぐっすり眠れたんだ。頭もすっきりしてて、外が見たくなって……ここ、船だったんだな。さっき窓から海が見えてたまげたよ」
「はは、それは知らなかったら確かに驚くだろうな」
「うん、だから、早く思い出したいんだ」
「……葉?」
「……自分が誰かもわからないってすっげー心細い」
どういう心境の変化か、とは思っていたが、予想以上の言葉に真木は気付くと葉の頭を撫でていた。
「でも無理に思い出すことはない。おまえの居場所はここにあるまま変わらないし、俺たちがずっとついている」
あの人ならそういうだろうと、今はここに居ない育ての親の事を思い浮かべた。
「あ、それ、誰かにも言われた気がする」
「紅葉か?」
「んーわかんない。そんなよーな夢を見たような」
「夢?」
「うん、ゆめ。たぶん。」
今にも眠りに落ちてしまいそうな覚束ない言葉は、昨日までの脅えて泣き叫ぶのに比べればずっと良い。柔らかい寝癖を直すように梳くと、猫のように欠伸をした。お腹がいっぱいになれば眠くなる。単純だが幸福な真理の体現に思わず苦笑すると、葉は落ち着かない様子でころんと寝返って背を向けた。その拍子に、寝間着の間から白いうなじがちらりと見えた。首筋にも残る痛々しい赤い傷跡がふいに真木の目を打った。
葉の身に起こったことを考えない時はなかったが、それでも自分に出来ることなどほとんどないのだ。葉の苦しみを少しでも和らげることが出来るとすれば、それはただ一人だけなのだろう。もしも自分が仮に同じ状況だとしても、きっとそうなのだから。自分たちは何度も、あの優しい手に救われてきたのだ。
「葉。……記憶を、取り戻したいのか?」
「うん?あたりまえじゃん」
「あの人だったら完全におまえの記憶を戻すことが出来る」
「あの人?」
葉はクッションを抱えたまま真木をふりかえった。寝乱れた癖毛がシーツに揺れた。
葉が兵部を憎んでいることは知っていたが、悲しいすれ違いだと真木も心を痛めていたのだった。真木の兵部に対する思いとはまた別の、子供らしい剥き出しの感情をぶつけて葉が兵部を誰よりも思慕して懐いていたのを知っているから尚のこと。幹部にあるまじき直情的な幼い感情は、こうなる以前は兵部以外大切なものはないと公言してはばからなかったのだから。
「兵部少佐だ。パンドラのボスで、我々の育ての――」
「いやだ!あいつだけは!」
葉の目がみるみる大きく見開かれる。真木の手をはね除け慄然する様に真木は焦りを覚えた。
「葉、話を聞いてくれ!」
「いやだ…あいつのこと思い出すと、また……」
快活さを取り戻した様子はなりを潜め、自分で自分を抱くように腕をぎゅっと抱えて、恐怖を打ち消すように幾度も頭を振る様子は見てる方がつらかった。
「……すまなかった。無理に思い出すことはないと言ったばかりなのにな」
落ち着くのを待ってゆっくりと背を撫でた。
葉はもう震えてはいなかった。瞳の端から涙がわずかに弾いてあふれたが、強く閉じていた
ための生理的に流れる涙のようだった。
「……俺こそごめん。あんたも紅葉さんも、悪い人じゃないって知ってるのに」
そんな言葉が聞けるとは随分な進展だと思ったが、やはり兵部の名前を口にしないことに真木は顔をしかめた。だがもうこれ以上この話題を続けることは出来そうにない。
「葉。元気になったのなら着替えて外に出るか?何か思い出すかもしれない」
「いいの?船だもんな、面白そう」
僅かに笑みを見せる葉に、今はこれで充分だと思い直した。
――――
初めて眺める船内は、葉にとってはちょっとした冒険のようだった。紺色の水面にスカイブルーの空。白波を眺めているのはいつまでたっても飽きなかい。デッキや廊下では何人かに会ったが皆一様に葉の姿を見止めると嬉しそうにかけよった。
でも自分は何も覚えていないのだ。気遣わしげに話しかける仲間の名前さえわからないのは思った以上に堪えたが、曖昧に言葉を濁すことしか出来ず、しかしそんな様子さえ心得ていると言うように温かく声をかける仲間にようやく葉も打ち解けることができた。
なかでも明るい金髪碧眼の少女は葉を見るなり抱きついて泣き出してしまったのだった。
「真木さん、この子、えーと…」
腰に腕を回されシャツに顔があたってる温かい感触に、抱き返すことも出来ずに腕をホールドアップ(お手上げ)して葉は隣の真木に助けを求める。
「パティだ。ある事件でおまえと組んでからずっと慕ってるようだったが」
「ふぅん。覚えてなくてごめんね……あ、じゃあもしかして彼女だっ――」
「ば、馬鹿じゃないですか?!そんなことあるわけないでしょう!だって葉さんには――」
「おい、パティ」
「ん、どしたの?」
「なんでもない、です。でも…あるわけでないですよ。葉さんに失礼です」
パティは真木に睨まれるとぱっと体を離して口ごもった。
葉は知らないことだったが、兵部の名前は口にしないようにと葉に接触する可能性がある人物にはあらかじめ通達されていたのだった。そのパティにしたって、葉のことは「ただの記憶喪失」としか知らされていない。真実を兵部から聞かされていたのは真木と紅葉だけなのだった。
「葉、もう行くぞ」
「あぁ…うん。じゃあまたな、パティちゃん」
「はい、どうぞお大事に。……真木さん、頑張ってくださいね!」
「……?」
そしてパティの頭の中でこの二人に関する『名前の順番を入れ替える妙な遊び』がマイブームなのは、本人とテレパスのモモンガしか知らないことなのであった。
――――
それからも様々なところを歩いて自室に戻ったのは、午後の日が傾きかけてきたころだった。依然として焼け付く太陽はこの時間帯が一番熱い。カーテンをあけたままにした寝室は、シーツが日干したように柔らかくなっていた。疲れた体をスプリングの効いたベッドに投げだすと、動いたせいか軽い疲れが心地良くすぐに眠気に襲われた。真木はあとで紅葉をこちらに寄越すと言い置くと、とっくに消え去り、今は一人だった。
(そういえば、あいつに会わなかったな。少し警戒してたのに)
会いたいかそうでないかと自問すれば、答えはもちろん後者である。
だが無くした記憶を取り戻したいという思いも徐々に強くなるのだった。
白い午睡の中にうつらうつら漂っていると、またあの夢を見るのだった。
忘れかけていた記憶が蘇って来る。思い出したいのは「コレ」じゃないのに。
葉は夢の中でもどかしさに歯がみした。
不思議なことに、繰り返し見た夢のせいで少しずつだが客観出来るのだった。男に犯されている自分を、もう一人の自分が見下ろしているようなそんな曖昧な乖離。不快な点に変わりはないが、少なくてもダイレクトの痛みを追体験することはなかった。
自分が自分でなくなるような、自分を他人と見なしているような非現実感。
『やだ……やめろ、ッ!』
『ぁっあっ、ぁっハッ…ン離せっ、こ、の……ッ!』
自分の叫び声が聞こえたと思った時には、別々に分離していた精神は一方に引きずられていた。つまり、屈辱を再体験している『自分』のほうに。
こうなってしまえば夢でも現実も関係ない。渦に巻き込まれもみくちゃにされるクズ切れのように、荒々しい濁流に呑み込まれるだけだった。
(タスケテ)
何度目かもわからない叫び声を上げる。
葉は無意識に手を伸ばした。起きている時には思い出さなかった夢の内容を、今はっきりと思い出していた。
(誰かが、助けてくれた)
あの手にひきあげられると、怖いことも不安なことも何一つ忘れる。
こうして思い描くだけで苦痛が和らぐような気がしたのだった。
『あ…んぁっ…ァア…ッ』
乱暴な動きで体を抉られながら、犯す男の雑言を聞きながら、憎々しげに侮蔑する視線に征服されながら、葉はあの優しい声と手を思いだそうと努めた。
(『だいじょうぶ、僕はここにいるよ』)
白い綺麗な手が葉の手の平を包む。もう離さない、とぎゅっと指を絡ませる。
温かい熱が伝わる指先から、泥沼のような悪夢が塵のように消え去る。
ぱたりぱたりとドミノが倒れるように世界が黒から白へと色をかえる。
はっと気付くと、葉は目を覚ましていた。
寝入った時からそんなに時間はたってない。午後の穏やかな日差しがバルコニーから吹くカーテン越しにきらきらと輝いていた。
握った手は夢ではなくて現実だった。
「ハッ……はッ、はアッ……なんで、なんでアンタがここにいるんだ……」
繋がった指先から腕へ、肘へ、肩へ、顔へ。視線を滑らせた。
そこにいたのは、今夢の中で自分を犯していた銀色の髪に黒い瞳の少年だった。
「ひどくうなされているようだったから」
どうして。
葉は手をふりほどき跳ね起ると、出来るかぎり距離を取った。
「来ないで……っ」
後ろ手について、ずりずりと後ずさる。が、すぐに背中が冷たい壁にあたって葉は喉の奥で悲鳴を凝らした。少年――兵部はふりほどかれた自分の手を寂しげに一瞥すると、それ以上は葉に近づかなかった。
「……ごめん。起こすつもりはなかったんだ。眠ってる時にしかそばにいさせてくれないだろ?」
「知らない……出て行け……」
壁を背にし頭を振った。兵部は言われたとおり部屋を出て行こうとしたが、すぐに葉の様子がおかしいことに気付いた。ハッハッと浅く荒く呼吸を繰り返し、瞳孔が開いている。顔色は波がひくように青ざめ紙のように白い。兵部は慌ててベッドに片膝をついて距離を詰めた。
「葉……ッ!」
「やめ……ッくる、なっ!」
めちゃくちゃに振って抵抗する腕を肩ごと抱き込み、脅えた瞳を覗き込む。掴んだ腕は驚く程冷たたかった。
「大丈夫、ゆっくり息して……そう、出来るね?」
葉は恐慌をきたして過呼吸をおこしかけていたのだった。兵部は精神感応と念動力を使って器官を同調させると呼吸を手伝う。荒い息づかいはゆっくりとペースを落として、穏やかな吐息にかわる。
「どうして……」
もう冷え切った体も徐々に熱を取り戻していたが、兵部は葉を離さなかった。葉ももう抵抗はせずにされるままに力なく呟いた。
「どうしてアンタなんだ……」
何が、とは兵部は聞かなかった。精神感応力を持つ兵部には解りすぎるほど自明の問いだったし、脅える子供を宥めるのに余計な言葉はいらないとも感じていた。
黙って抱きしめると、葉が顔を埋めた肩に、ぱたりぱたりと雫が落ちた。
「だって……ひどい、こんなの……どうして……」
心を守る方法を忘れた無防備な子供の感情が兵部に流れ込んでくる。
悪夢の元凶を作り出していた乱暴な男と、その悪夢から救ってくれた優しい人は同じだった。優しい暖かい手の懐かしい心地よさが悪夢を払拭して圧倒する。今生まれたたての白い世界の中心はこの優しい手から始まっていたのだと葉は思い知らされた。
(でも、だからって…忘れられるわけがない…)
行き場のなくなった怒りが葉の中を駆け巡る。叫び出したいような、暴れたいような、鬱屈とした熱。闇の中からかき集めるようにした憎しみと、悪意の細部を思いだそうとしたが頭に霧がかかったようになってうまくいかなかった。
「俺、あんたのこと絶対、許さない……」
「うん、いいよ。結局は僕のせいだから。君の疵も痛みも、僕が引き受ける」
兵部は葉の心の中を正確に透視してから答えた。悪夢そのものよりも、今は、ようやく手に入れた安らぎのよりしろがが憎むべき元凶と同じという事実が葉を苦しめていたのだった。
「アンタなんか、大っ嫌いだ……」
「だいじょうぶ、僕はきみが大好きだよ、葉」
「なんだよ…それ…」
ぱたりぱたらりと落ちる涙は寄せ合った頬を伝い、どちらものかわからなくなる。
しゃくりあげるようなか細い泣き声は静かに白い部屋に響き渡った。
Kids Nap―キズナ―12
――――――
中途半端だけど区切りを見失ったので次回は続き。
次は記憶を取り戻してもらいますがこの展開だとまだあと1,2つ二人に試練が。だらだらと続いてすみません完全な自己満足/(^o^)\
お気に召したらぽちっといただけたら励みになりますv