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兵部は気紛れな野良猫みたいに好きな時間にふらりと抜けだし、真木がひとしきり探し疲れて諦めたあと、「お腹すいたー、何か食べるものあるかい?」などと暢気に帰って来る。
それどころか、いつのまにかリビングのソファに行儀良く腰掛けて、「丸一日ここにいました」みたいな澄ました顔で本など開いているのだ。バベルに追われる兵部の生活は常に危険が付きまとうので、目を離したくない、というのが真木の本音であり、と同時に一日心配した分と同じだけ、いつもと変わらない無事な姿に泣きたいほど安心するのも毎日のことだった。
そんな真木司郎の目下の悩みは、自分は兵部の足手まといなのではないかということだった。
もちろん、まだ真木より若く幼いと言っていい紅葉と葉に比べれば大仕事の一つや二つ単独で任されることはあったが、それでも「まだ子供扱いされているような気がする」という不安と不満を少なからず感じるのは、16才という若さを省みれば当然のことだった。しかし彼は、自分を既に大人のようなものだと思っていた。もうなんでも一人で出来るし、背だっていつの間にか兵部を追い越している。鍛錬を欠かさない体つきだって、小柄な兵部の盾になれる程度には成長したつもりだった。
「それは違うよ、真木」
今日は珍しくアジトから一歩も外に出ずに、リビングで紅葉とチェスをしたり、葉を膝に乗せて仲良くアニメ映画を見たりと平和的に過ごしていた兵部は、真木の言い分にしたり顔で言葉を返した。
「何が違うっていうんですか。俺はもう子供じゃない。自分の身は自分で守れるし、あなたを守ることだって出来る。そりゃあ俺はあなたの4分の1も生きてはないですけどね、」
「そうじゃなくてさぁ」
兵部は真木の入れた熱い日本茶をずずず、とうまそうに啜った。
湯飲みを手の中で割れそうなほど強く握りしめたまま、真木は続く言葉を待って顔をしかめた。
「そうじゃなくて、まだまだ時間はいくらでもあるんだからゆっくり成長すればいいんだよ」
「時間なんていくらあっても足りません、どうしてあなたはそんな悠長な!」
噛みつくように叫ぶ真木をちらりと見ると、「若いねぇ」と苦笑した。
「あ、見て見て。茶柱」
「アンタ人の話聞いてる?!」
「……そんなんじゃ舐められるよ。君にはゆくゆく、大きくなったパンドラの幹部を任せたいんだから」
「幹部、ですか」
一番舐められそうなのはアンタじゃないかというツッコミは心の中で留めて兵部の言葉を繰り返した。
兵部の一番近くで彼の仕事を手伝うことが出来れば、とは常に思っていたが、大組織の幹部という肩書きと自分はなかなか像を結ばなかった。
「そう。えらそうにデーンとかまえて、右腕っていうの?僕の頼みならなんでも叶えてくれてさぁ」
「……それじゃあ今とかわりませんよ、少佐」
がっくりと肩を落として温くなった緑茶を一気に飲み干した真木を、兵部は楽しそうに見つめる。
「うん。今と変わらないね」
充分だろ?と微笑む兵部を真木は直視出来ずに手の中の湯飲みに視線を落とした。
確かにそれは充分すぎる幸せだった。
「まあそんなわけで期待しているよ。もちろんいずれは紅葉と葉もと思ってるけど、やっぱりおまえが一番年長だしね、頼りにしている」
「それは……そうであれば、いい、と」
真木は何故か頬を赤らめ言いよどむ。
それをどう受け取ったのか、兵部は声をあげて笑った。
「もっと自信を持ちたまえよ。そうだ、おまえは何か欲しいものないの?」
「欲しいもの、ですか?」
こんな上機嫌な兵部を見るのは久しぶりで、どうしたのだろうと真木は訝しんだ。無理難題も言わずふらりとどこかに姿も消さず、こうして部屋で大人しくしていてくれるのなら一番いいが、こうもすんなり平和だと逆に身構えてしまう。「いつも頑張ってくれてるからね、なんでも言えよ」と笑う鷹揚さからはそれこそ祖父が孫を慈しむような余裕が透けて、やはり学ランに包まれた見かけ通りの子供ではないと思い知るのだった。
「誕生日でもクリスマスでも、ないんですけど」
そのどちらもが、兵部に教わったイベントとしての祝い事だ。
「いいじゃん。たまには。なんかないの?」
「あなたが…無事で…息災であれば…それで」
ついでに出かける先と帰宅時間も教えてくれれば他に望むことはありません、と喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ時、なめらかに空気が振動して紅葉と葉がテレポートで兵部の頭上に落ちて来た。
「シローちゃんばっか話してずるい!」
「きょーすけ、あっちでゲームしようよー!」
兵部は後ろから首にぎゅうと抱きつく幼い子供を抱き寄せ、どこかうらやましそうに見上げる娘の手も空いた片手で引き寄せる。
「ゲームもいいけど、天気もいいことだし散歩にでもいかない?」
「うん、行くー!サッカーしたい!」
「いいねぇ。真木も行くだろ?」
差し出される手に手を重ねると、幕を下ろしたように一瞬で場面が変わり、兵部の力で弟と妹と共々青い夏の空に放り出されていた。
だから当然この話はそこでお仕舞いになり、真木はほっと胸を撫で下ろしたのだった。
願いを、気付かれなくてよかった。これ以上追求されたら兵部に隠し果せるとも思えない。
本当は、望みならある。しかしそれを口にすることは憚られたし、心に思い浮かべることさえ畏れ多い、と真木は頑なに信じていた。
あの人が欲しい、だなんて。
いつから育ての親で恩人でもある兵部をそういった目で見るようになったかは思い出せなかった。
気付いた時には息をするのと同じくらい自然に、あの人の驚異的な能力を柔らかい髪をほっそりした肩を深い瞳の色を見る度に胸が締め付けられるような息苦しさを味わうようになっていた。
チリチリとした胸の痛みに、空中に飛散したガラスの破片を呼吸と共に思い切り吸い込んでしまう空想をする。煌めくガラスの粉が畝の内側に雪のようにふりつもって体の内側からずたずたに切り裂かれるような幻を見たような気がした。
だからその夜、そういった思春期にありがちな粘つく夢を見ても、情けないほど単純に出来ている深層心理が昼間の兵部の台詞に影響されたせいだと思っていたのだった。
桜色の唇に触れて乳白色の膚を抱きしめて、柔らかい肢体を腕の中に閉じ込めて、あろうことか淫らがましい欲望でもって征服するなんて浅ましい夢。夢にしたってひどすぎる。
しかし何より信じ難いのは、どうかこの夢から覚めないで欲しいと願ってしまった自分自身だった。
現実に収束するうつつの縁で、真木は甘い微睡みからはっと目を覚ました。体が金縛りのように動かない。反射のように炭素の塊を触手のように伸ばして気付いた。
「なに……してるんですか、少佐」
「ええと。夜這い?」
首だけなんとか起こした真木の体の上で、じゃれる猫のように機嫌よく銀の髪を揺らしたのは兵部だった。あまりのことに声が出ない真木は、ひゅうと息を吸い込んで、叫ぶ。
「なんで俺に聞くんですか!」
「だって、夜這いになるかどうかはおまえ次第じゃん」
「な、何言ってるんですかアンタ!」
焦る真木を尻目に、兵部は実に朗らかに笑った。
真木は兵部の下から這い出るように起き上がると、兵部と向かい合って胡座をかいた。
「せっかく僕がなんでもするって言ってるのに、素直じゃないんだもん。だからちょっと強硬手段にね」
額に押し当てられた手の平が、サイコメトリーを発動しているのに気付いて真木は青ざめた。
もしかしなくても、夢の内容を透視されていたんじゃなかろうか。
いや、それよりも。
「ちなみに真木の気持ちはとっくの昔にばればれだから」
「な、なんですかソレ!」
「いっとくけど透視じゃないよ。顔に、出てるもん」
「プライバシーの侵害ですっ!」
おかしい、何かがおかしい。頭の片隅の理性が危険信号を点滅させる。
甘い夢想や浅ましい妄想を遙かに裏切る色気を放つこの少年は、しかし真木の心中など知ってか知らずかひどく蠱惑的な笑みで囁いた。
「だからね、君がしたかったこと、してよ」
まるで催眠をかける時のように、真木の瞳を覗きこむ。
「……しても、いいんですか」
「うん」
「きっと、あなたに酷いことをしますよ」
「いいよ」
頬に手を添えられたまま、逃げ場はない。真木は観念して俯いた。
沈黙が二人の間に落ちる。どうしようもない膠着状態に痺れを切らし、もう兵部も馬鹿げた気の迷いから覚めただろうかと顔をあげると、兵部はいつになく真摯な瞳で真木を覗き込んだままだった。
正面からダイレクトに視線がぶつかって、真木は息を呑む。
頭の芯が熱くなり、くらりと眩暈がする。意思を奪われたような金縛り。兵部の催眠にかけられた人間はこうなるのだろうかと真木は思ったが、生憎兵部はヒュプノを使っているわけではなかった。
元々、10センチも距離は空いていない。
ほんの少し顔を近づけるだけでよかった。兵部のほうに倒れ込むようにして、唇を近づけた。
「ふ……」
唇をあわせたまま、恐る恐る目を開けると、昏色の瞳をまぶたで閉ざした兵部の顔が間近に見える。兵部が目を瞑っていることに少しだけ自信を得て、真木は顎の角度を変えて、もっと奥まで濡れた舌を差し込んだ。
「ん…っ」
しばらくして顔を離し、「すみません」と言いかけると、背に回された兵部の手が、ぎゅっと真木のシャツを掴んだ。だからもう少しだけ、唇を離すのは息継ぎだけにして真木はもう一度、今度は腕の中に閉じ込めるようにして口付けた。
「はっ…ン…さすがに、ちょっと、苦しい……」
薄暗い闇の中で、どれくらいそうしていたのかさすがに兵部が恥じるような声を溢した。
真木ははっと我に返り、しでかしたことに気付いた。
「すみません、少佐。つい……、」
自制できなくて、と項垂れる兵部の額に濡れた暖かい唇が押しつけられる。
「……違う。我慢出来ないのは僕のほうなんだ」
「少佐……?」
何故か苦しげに聞こえる、囁くような言葉の意味がよくわからない。それよりも、目の前の誘うような甘い匂いに頭の奥が痺れるような、熱に犯される。肩にこつんと押しつけられた頭を抱き寄せると、兵部が掠れた声で呟いた。それは真木がここ数年密かにかかえていた想いと同じで、一生くちにすることはないと思い込んでいた言葉だった。
幾度となく夢想した甘い匂いを抱きしめる。弾けそうな心臓の音が等しく二人分聞こえる。
真木はしばらく動けないでいたが、「少佐」と意を決したように小さく呟くと、黒曜石を思わせる艶やかな瞳がまたたいて、真木をじっと見あげた。
「さっき少佐は、俺のしたいことを、って言いましたよね」
「うん、言った」
「あなたを侮るつもりはないが、その…抱きたいと思っています」
真木は慎重に言葉を選ぶ。
「だから…もう少しだけ待っていてくれますか」
「……真木?」
真木は兵部の両肩を掴んで離れがたい愛しいぬくもりから無理に身を引く。
「さっきあなたは、ゆっくり成長すればいい、って言ってくれた。だから、いつかあなたを抱くのに相応しい男になるまで、…いや、ちょっとちがうな…ええと、あなたを満足させられるくらい…?」
最初は兵部の肩を掴む大きな手と同じくらい力強かった声は、後半になるにつれあやふやに頼りなく、そして語尾が殆ど消えかかった。
「ふふ、ありがとう」
拙いなりに必死に選んだ言葉に、思わず兵部も微笑んだ。
と同時に、あれほど兵部から放たれていた淫靡な気配は消え去り、普段の悪戯好きで気紛れな、よく見知った育ての親のそれに戻っていた。真木はそのことに少なからず安堵してしまった自分にまた落胆する。そんな真木の紅くなったり青くなったりとくるくる変わる表情の変化にまた兵部は笑った。
「この年になって、こんな楽しみが出来るなんて思わなかったよ。早く大きくおなり。僕はいつまでも待ってるから」
「……はい、必ず」
もう一度抱き寄せて、絹のような柔らかい髪を味わうように指を通す。そのまま頬に指をすべらせ唇を啄む仕草は、先ほどのキスよりはるかにしっくりと互いの心に沿っていた。
今すぐ欲しい、と思わないこともなかったが、確かに今はこれ以上ないほどの幸せを感じている。
「でもまあそれはそれとして。こっちはもう我慢出来ないって言ってるけど?」
「……!それは!ただの生理現象です!!」
兵部がズボンに隠れた真木の下半身をちらりと目をやり、腰のあたりに這わせた手から透視する。
真木は逃げるように身を引いたが生憎後ろは壁だった。
「口でしてやろうか?」
「な、なんてこと言うんですか!いいです、自分で処理できますから、ほっといてください」
「はいはい。……じゃあ僕はちょっとシャワー浴びてくるからその間になんとかしとけよ?」
兵部は意外とあっさりと真木から離れるとふぁ、と欠伸をした。
なぜこの会話の流れでシャワーという単語が出てくるのだろうか、と再び警戒した真木に、兵部は慌ててつけたした。
「一緒に寝るくらいはいいだろ?だいじょうぶ、おまえを襲ったりはしないよ」
「あたりまえです」
何を言い出すんだ、というか襲われるのは自分なのか、と項垂れる真木を尻目に兵部はさっさと浴室に向かった。「じゃあちょっと待ってて」とテレポートで消える直前に見えた背中を、つい追いすがりそうになり、真木は頭を抱えて呻いた。やはり自分は浮かれているのだろうか、と。
結局兵部がシャワーを浴びて寝る準備をしている間の数十分間に、真木が熱の処理を自分で済ませたのかは本人しか知らないことだったが、浴衣に身を包んだ兵部が真木のベッドにすべりこんだ時には、余程緊張していたのか真木はすでにうつらうつら船を漕いでいた。そのいっそ間抜けとも言える寝顔を晒す頬に、慈しむように唇を落として兵部は囁いた。
「大好きだよ。……本当に、こんな楽しみが出来るなんて思わなかった。君が大人になるのをずっと待ってるからね」
翌朝真木が目を覚ました時、兵部はそこにはいなかった。
昨夜のことは都合の良い夢かあるいは妄想だったのか、と真木はぼんやりした頭で思ったが、掛け布団は妙に膨らんでいて、ほんの少し前までそこに人が居たことを示していた。
兵部はきっと自室に戻っているのだろう。
彼が普段起き出すのはずっと日が高くなってからだ。
暖かい温もりと皺が残ったシーツに、愛おしげな手つきで触れる。
そうだ今朝の朝食は兵部の一番好きなものを作ろう、と冷蔵庫の中身と照らし合わせながら、あと数時間して起きだした兵部がきっと見せてくれるだろう笑顔を思い浮かべる。
何気なく視線を廻らすと、テーブルにのったカレンダーが目に入る。
カレンダーの日付は2000年の7月30日を示していた。
ラブ・ラ・ドール
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真木兵の初めて(未遂)は、この日だと信じてる\(^o^)/
兵部さんは自分が捕まるなんてまさか思ってないだろうし、真木さんもこのあとしばらく会えないなんて思いもしてないだろうけど、あとから思えば実は……っていう感じにしたかった。
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